私は中学校入学時に陸上部へ入部しました。
今回は、「なぜ長距離走を選択したのか」「なぜ走っているのか」について私なりの回答を書きたいと思います。
というのも、私自身、中学校から実業団まで15年以上も長距離ランナーとして活動するうえで、「走ってて何が楽しいの?」とか「なんで長距離走を選んだの?」という質問は数えきれないほど言われてきました。
確かに、普段走らない人からすると理解しがたい生活を送ってきたという自覚はありますし、私自身長距離をやっていなければ、同じ疑問を持っていたと思います。
ということで、私の陸上人生の中で言われ続けたこの質問に対する、私なりの回答を書きたいと思います。
長距離を始めた理由は○○だったから
早速結論を言うと、数あるスポーツや競技の中で長距離走がたまたま得意だったからです!
小学校時代から走ることが得意だった私は、縁あって中学校から陸上部に所属し、本格的に長距離ランナーとしての道を歩むことになりました。
陸上部への入部は最終的に私の決断であったものの、陸上部顧問の先生から非常に熱心な勧誘を受けたことが大きな要因です(その時の様子を前回の記事に書いてます→https://runners-aidstation.com/memory-4/)。
たまたま長距離走が速かったため、顧問の先生の目に留まり入部することになりましたが、先生が私を見つけてくれなければ、そして熱心な勧誘が無ければ長距離の道に進むことは決してありませんでした。
私が当時やっていた少年野球で活躍できていれば迷うことなく野球部に進んでいましたし、むしろ長距離がもっと遅ければ野球部一択になっていたはずです。
もし、他のスポーツや楽器が得意だとすれば、その道に進んでいたと思います。
得意なものは人それぞれですが、私はたまたま長距離走が得意だった、だから走り始めたに過ぎません。
長距離走を始めた時は、当然陸上の知識なんてありませんし、どのように走れば速くなるか、どんなフォームが良いか、なんて意識したこともありません。
父親は運動が得意だったようで遺伝した部分は確実にありますが、それも含めて私が長距離走が得意だったことは完全な運だと言えます。
長距離走の不人気を実感した経験
中学校の陸上部に入部すると同様の理由で長距離走を選んだ子が多かったです。走ることが得意な子たちが集まってきました。
やはり、スポーツを選ぶときに「勝てること」そして、「褒められること」はスポーツをする上で大きなモチベーションになります。
中学校に入学して部活動を選択する時、自分が一番輝ける可能性のある部活を選択していたのです。
一方で得意だからという理由以外にも、走ることが好きで入部する子もいます。
好きなことと得意なことが一致すればベストですが、現実ではなかなか一致しません。「好きこそものの上手なれ」という言葉がありますが、私が走ることが好きであればもっと記録を伸ばせたのかなと思うことが多々あります。
過去のブログでも書きましたが、当時市内の駅伝大会で一番だった私は、自ら進んで長距離走を選択しませんでした。
というのも、当時はランニングにマイナスのイメージが強くあったからです。
少年野球では、ウォーミングアップのランニング以外にも、試合に負けたら走らされる、いわゆる罰として走らされることがありました。
学校で体育で持久走の授業となると、周りの子たちが嫌がる様子をずっと見てきました。「持久走嫌だな」「走りたくないな」そんな声を周囲から聞き続けてきました。
その結果、長く走ることに対して、マイナスのイメージを持ち続けて中学校に入学したのです。
私だけでなく、このようなイメージを持っていた生徒は非常に多いなと肌で感じる経験がありました。
中学校の陸上部に入部してから1年が経ち、私は入学してきた有力な後輩を必死に勧誘していました。チームが駅伝で上位になれるよう、自分が1年前にされたことを逆にやっていたのです。ホントに立場が変われば行動も変わるものです。
しかし、長距離走のイメージが悪いのか、有力な生徒を多く逃しました。めちゃくちゃ足が速くて体力がある、そんな子は他のスポーツも得意なことが多く、長距離を選択する子が非常に少なかったのです。
走るという行為は、体育テストなどで確実に実施されますし、いわば運動の基本です。そのため、どの生徒が速いかという情報を否応なしに見聞きすることがあります。
つまり、どの子が速いのか、誰をスカウトすれば良いのかがすでにリストアップされている感じでしょうか。
「あの○○組の子、すごく速いらしいぞ!!」「よし、勧誘しに行くか!」てな感じで情報が回ってくるのです。どの子が速いか知っているからこそ、リストアップされているからこそ、生徒を勧誘で逃した悔しさは倍増です。逃がした魚は大きいことを知っているからです。

今でも、あの子が入部していればすごい選手になっただろうなと感じる生徒を何人か思い出します。
私が勧誘行為を行ったのは、後にも先にもこの中学2年、3年時だけですが、陸上部の長距離に入部してくれる生徒は少なく、断られてばかりでした。運よく入部してくれた子も、夏休みを過ぎたころには部活動に顔を出さなくなり、自然消滅していく子が非常に多かったのです。
得意な子たちが集まれば、当然得意な子たちの中でも順位がつけられます。「勝てること」と「褒められること」は競技継続の大きなモチベーションとなりますが、結果が出るまでには長い期間を要する場合があります。
結果が出て「勝てる」「褒められる」よりも前に、長距離走という練習の苦しさの方が勝ってしまい、部を辞めてしまう子が出てくるのです。
これらの経験を通して、長距離走の人気の無さ、練習の苦しさを思い知らされました。
だからこそ、長距離走のイメージアップは陸上長距離界の発展に大きな影響を及ぼすと強く感じます。
お正月に行われる箱根駅伝のような華やかな舞台があれば、長距離を選択する子も増えると思いますし、現在青山学院大学の駅伝部監督である原監督は長距離界のイメージアップのために様々な活動をされています。
また、東京オリンピックの男子マラソンで入賞し日本を代表するランナーの一人である大迫傑選手も従来のマラソンのイメージを良い意味で壊してくれたと思います。ピアスを開け、オシャレなウェアでカッコよく且つクールに走り続ける姿に憧れを抱き、走る道に進んだ人も多いのではないでしょうか。
もともと我慢や忍耐のイメージが強い長距離です。欲を殺すことが美徳とされ、丸坊主となり一心不乱にただ走り続ける、そんな長距離のイメージから脱却できなければ、少子化が進むこの日本で、有力な選手を獲得することができず、陸上長距離界は衰退してしまう。
こんな未来を危惧してイメージ払拭に向けて活動する指導者や現役選手の方も増えています。
これは、陸上長距離界に限らず様々なスポーツでも同じですね。野球部でも以前に比べて丸坊主が減っていることも競技人口の減少にストップをかける対策の一つです。
長距離走の競技者で走るのが好きな人は少ない!?
こんなイメージの競技だからこそ、走ることが得意でなければ、あるいは好きでなければ選択しがたいスポーツではないでしょうか。
ましてや中学校に入学して部活動を決める時に、球技や文化系の部活動など様々な選択肢があれば尚更です。
子供の頃は、何が得意で何が好きかを把握している人は多くはないと思います。年数を重ねることで、自身のタイプや傾向などが分かっていき、得意なことを判断していくと思います。
しかし、何が得意か分からない中でも、小学校から体育の授業があることで、走ることが得意か不得意かは、ほぼ全員が把握することになります。
そのため、得意だったから長距離走を選択した、他のスポーツに比べて長距離走の方が活躍できそうだから選んだ、という子が長距離ランナーには非常に多いのです。
ランニングトレーニング本で有名な「ダニエルズのランニングフォーミュラ第3版」には、なぜ長距離走を始めたのかを問うアンケート結果が記載されていました。
そこで、「自分がランナーになりたかったから」と答えた人はたった12%でした。つまり、走ることが好きで長距離走をやっているのはおよそ10人に1人程度です。
他の選択肢にある「他の競技でメンバーに入れなかったから」、「周囲の人が勧めたから」長距離を始める子が非常に多かったことが分かります。
この結果を見て、私の肌感覚ですが中学校から実業団まで長距離を続けてきた経験で、走ることが好きでやっていた人は確かに10人に1人くらいだったと思います。
私は、そんな走るのが好きな選手が羨ましくてしょうがなかったです。
陸上を続けていると、しんどくてやりたくない練習もあれば、走り出すことが億劫な日もたくさんありました。私がそんな気持ちの時でも、走るのが好きな子はゲームを楽しむかのように走り出していき、長時間にわたって淡々と走り続けることができるのです。
私がつらいと思って嫌々やっている練習を、彼らは労せず、むしろ楽しむように走り続ける姿を見て、何か超えられない壁を突き付けられたように感じました。
改めて、「好きこそものの上手なれ」という言葉は本当によく言ったものです。
報徳学園高校陸上部元監督 鶴谷先生のお言葉
皆さんは報徳学園高校の元陸上部監督である、鶴谷邦弘先生をご存じでしょうか。
2018年にお亡くなりになりましたが、全国高校駅伝で3連覇を果たした高校陸上界の名将です。
そんな鶴谷先生に昔ミーティングをしてもらったことがあり、その中で印象に残っている言葉があるのです。
鶴谷先生「お前たちはなぜ長距離走をやっているのか、それは足が速いからだろう!」
こんなことを言われてました。
なぜこの言葉が印象に残っているかというと、それまで出会ったほとんどの先生が長距離走をやっていることに対し、
「自分が好きで始めたんだからしっかり頑張りなさい」的なことを言うのです。
この言葉を否定するつもりも無いですし、受け入れてはいたものの、どこかモヤモヤする気持ちもありました。
「別に走るのが好きなわけじゃないけどな~」と漠然とした反抗心を持ちながら、自ら走るというよりも走らされる感覚の方が強かったです。
そんな時、この鶴谷先生の言葉は「今までの先生と違って変わったこと言う人やな」と思い、印象に残ったのです。頭の片隅に残っていたこの言葉ですが、よく思い返すとランナーの気持ちを捉えていた言葉だったと今では感じます。
陸上界に長く身を置き、長距離の酸いも甘いも知っているからこそ、綺麗ごとではないこの言葉が出てきたと今では思うのです。
ちなみに、鶴谷先生は他の先生から「どうすればチームが強くなるか」という問いに対して、「速い選手をスカウトするんや!」なんてことも言っていました。
一切綺麗ごとを言わず、ある意味本質を捉えている鶴谷先生はインパクト抜群で、風変わりなおっちゃんというイメージで強く私の心に刻み込まれています。
ランニングの魅力
これまでの記述では、長距離に対してネガティブな印象を与えるものとなっていますが、現在の私は走ることに対して大きな魅力を感じています。
実際に陸上部に入部してからの中学・高校時代は与えられた練習をそれなりにこなしていたものの、隙あらばサボってやろうと思っていましたし、意欲的に取り組めていませんでした。
しかし、大学・実業団になると、以前ほど縛られた環境ではなく、ある程度自分の裁量で練習をコントロールすることができるようになりました。さらに駅伝などでメディアに出るチャンスが多いことはモチベーションアップに繋がります。レースを見てくれた人が声を掛けてくれることも私をさらにやる気にさせてくれました。
この頃になって、私はようやく長距離が人々に与える魅力や、走ることの素晴らしさを少しずつ感じることができたのです。
昨今のランニングブームでも、多くの人が走ることの素晴らしさを感じていると思います。
進学のタイミングでランニングに対する印象が大きく変わってきた私ですが、社会人になってからは、さらにランニングへの魅力を感じています。
実業団となって、自分の得意なランニングで生計を立てることは結果を出さなければならないプレッシャーもありますが、競技に全力で打ち込める非常に恵まれた環境だと感じています。
社会人となって、公私での人間関係やインターネット、SNSなど、常に何かと繋がっている現代社会では本当の意味で1人になる時間は少なくなりました。
しかし、ランニング中は1人の時間を享受することができるのです。音楽を聴くなどして自分だけの世界に没頭できる時間は、私の好きな時間の一つでもあります。

また、大人になると自分の肉体的成長を感じることは少なく、衰えを感じる日々がほとんどではないでしょうか。しかし、ランニングはタイムという形で目に見えて自分の成長を実感できるスポーツであり、シューズさえあれば場所を問わず1人で気軽に始められます。
この手軽さと成長を実感できることは、多くの社会人ランナーの原動力だと思うのです。
実業団で競技を続けている私ですが、年齢を重ねるごとにランニングの素晴らしさを強く感じています。
ランニングの素晴らしさを感じることができたのも、中学時代に陸上部の先生が私に声を掛けてくれたおかげです。これまで何度となく辞めてやろうと思った長距離走ですが、今ではブログを通じて多くの方にこのスポーツを知ってもらいたいと思っています。
今でこそ長距離走を始めて良かったと思っていますが、このブログ内ではまだ陸上部への入部を決断したに過ぎません。
たまたま長距離走が得意で始めた私がどのような陸上人生を歩むのか、今後もお伝えしていきたいと思います。
次の記事↓
地獄の40分間 - ランナーたちの給水所 (runners-aidstation.com): なぜ長距離走を始めたのか