【思い出話】

小学6年生、人生初の駅伝大会

わたしは中学校から本格的に陸上競技を始め、高校、大学、そして実業団まで、15年以上も長距離ランナーとして走り続けてきました。

このブログは、そんなわたしの陸上競技歴15年以上の思い出を綴るブログです。

これまで、「全国高校駅伝」や「箱根駅伝」、さらには実業団ランナーの最高峰である「ニューイヤー駅伝」といった数多くの駅伝大会を経験してきましたが、今回は人生で初めて駅伝大会に出場した時の思い出を書いています。

この駅伝大会への出場は、わたしが陸上競技へと進む大きなきっかけとなりました。

友人からの誘い

​小学校卒業を間近に控えた1月のある日、別クラスの友人から声をかけられました。

「今度の市内駅伝、うちのチームで一緒に出ない?」と。

当時のわたしは、2月に行われる「市内小学校駅伝大会」の存在こそ知っていたものの、希望者のみ参加となっていたため、自分には関係のない行事だと思って聞き流していました。

「君が走ってくれれば、5人揃うんだ!」

市内の陸上大会で1位となったわたしの走りを友人が見てくれており、誘いに来てくれました。

元々は一緒のクラスで過ごした友人であり、チームの最後1枠をわたしのために残してくれていたのです。

加えて、「小学校卒業前の思い出に一緒に出ようよ!!」と伝えられ、元々頼まれると断れない性格のわたしでしたが、やっぱり断れませんでした。

出場することは元々乗り気では無かったものの、わざわざ別クラスから声をかけて誘ってくれた事は、正直とても嬉しかったのです。

こんな流れで、人生で初めての駅伝大会への出場が決まりました。

​予想外の放課後特訓!

​駅伝へのエントリーを済ませたわたしを待っていたのは、想定外の「放課後練習」でした。 

「遊び時間を削ってまで走るなんて聞いてねぇよ…」と思っていましたが、チームのメンバーはやる気満々です。

彼らに引きずられるようにして、月・水・金の週3回、放課後のグラウンドへと向かう日々が始まりました。

練習内容は、いたってシンプル。駅伝と同じ「1200m」を走るだけです。 

授業が終わったら勝手に1周200mのグラウンドを走り始め、1200m走り終えたら帰っても良いという自由なスタイル。

日によっては、友達とお喋りしながらジョギングしたり、ラスト1周でいきなり全力走をして競り合ったり。

遊び半分、練習半分の感覚で…   いや、遊び9割の気持ちで練習に参加していましたが、こんな感覚だったからこそ毎回練習に参加できたのだと思います。

これまで、​1200mという距離は、小学生のわたしにとってはかなり長い距離という認識でした。

それでも週に数回、この距離を繰り返し走ることで、1200mという距離に対する心理的なハードルは下がっていました。

喋りながらのランニングで、体力的にはどこまで向上できたか分かりませんが、決して意味の無い練習では無かったと思います。

​駅伝大会当日!アンカーで初出走

​迎えた大会当日。

小学5年生時に市内の陸上大会で訪れた陸上競技場が発着点となるコースでした。

昨年競技場に来た時は青々としていた芝生でしたが、2月の寒さで茶色く枯れていた事が印象的でした。

参加チームは市内の各小学校からエントリーされた30〜40チーム。

わたしたちのチーム目標は「6位入賞」でした。6位以内に入れば賞状が貰えたのです。

そして、わたしの走る区間は「5区(アンカー)」を任されました。

リレーと同じで、この時は1番速い選手をアンカーに配置する作戦でわたしを5区に配置したのです。

そしていよいよ、駅伝大会がスタート!一区の走者たちが競技場を飛び出していきました。

この時初めて知りましたが、​駅伝の待ち時間って結構長いですね…

チームのみんなと軽くウォーミングアップをしましたが、アンカーのわたしにタスキが渡るまで20分近く待機しなければなりません。

2月で風も吹いていたので、まさに真冬といった気候でした。ウォーミングアップで温まった体はみるみる冷えていきます。

この時はまだ、スタート時間に合わせてウォーミングアップをするという考えはありませんでした。。。

それでも、競技場に戻ってきた4区の走者が、必死の形相でタスキを繋ごうとする姿を見た瞬間、寒さは吹き飛びました。

わたしは12〜13位前後でタスキを受け取りました。

想定より後ろの順位でタスキを受け取りましたが、「前の選手を一人でも多く抜く」――それだけを考えて競技場を飛び出しました。

仲間たちがアンカーのわたしに期待して、ここまで必死にタスキを繋いでくれた。

その気持ちが、タスキを受け取った前走者からも、すでに走り終えたメンバーの応援の声からもひしひしと伝わり、過去に陸上大会で800mに出場した時よりも頑張れたように思います。

タスキを受け取った直後からぶっ飛ばし、後半は苦しみながらも全力で1200mを駆け抜けました。

​結果として5人を抜き去り、チームの順位を押し上げましたが、目標の6位入賞にはあと一歩届きませんでした。

それでも、走り終えた後はタスキを繋いだ仲間たちと笑い合っていました。

「あの選手めっちゃ速かった」「同じ学校のこのチームには勝てたな!」とか、「全然競技場に戻ってこないからコース間違えたかと思った!笑」とかずっと話し合っていました。

順位は浮き沈みがありましたが、わたしたち5人だけの戦いの記憶を共有できた事は何よりも楽しくて、もう結果なんてどうでも良くなっていました。

最初は駅伝大会なんて出ないつもりでしたが、走り終えた後は出場して良かったと心の底から思いました。

これがわたしの人生初の駅伝大会でした。

最後に

​しかし、本当のサプライズは大会から数日後、学校に届いた「駅伝大会の結果表」にありました。

駅伝大会から数日後、再び友人がわたしのクラスにやって来て結果表を見せてくれました。

そこには、各チームの順位とタイムだけでなく、個人のタイムまで記載されていたのです。

そして、個人順位の1番上にはわたしの名前が!!

全出場者の中で「個人1位」のタイムを記録していたのです。1200mのタイムは4分10秒程でした。

1年前の市内陸上大会で800m1位に続き、今回も市内で1位となることができました。

そう、わたしの小学校時代は、まさに地元じゃ負け知らずだったのです。

そして、この結果表は市内の小学校に共有されるだけでなく、陸上競技場にも張り出されていました…

次回はいよいよ、「本格的な競技の世界」へ足を踏み入れた、中学校時代について書きたいと思います。

ぜひご覧ください。

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